こんにちは アピアランスビューティクリニック 堀口和美です。
もうすっかり、ご存知の方も増えたと思います、ピンクリボン活動、ピンクリボン月間。
こちらの企業さまの活動に、喜んで参加させていただきました!
ピンクリボン先生だなんて
嬉しいにもほどがあります。
頑張らせていただきます。
このピンクリボンについては、諸説あるようですね。
乳癌罹患したアメリカ人女性のお母さんが、その患者さんの娘さんに、リボンを送った とか・・・
でもどうやら、もともと、願いを込めた「リボンもの」はいろいろあるようです。
わたし、ざっくりとしか知らなかったので、今回Wiki先生にしっかり教えていただきました。
ピンクリボンはどうやら1992年生まれですね!
下記はそれらの抜粋です。ご興味あればぜひ、お読みください!
(長くてすみません)
(長いのはいつものことですね笑)
リボンものの始まりは・・・
1910年代:戦場で歌われていた「黄色いリボン」という歌
1949年:ジョン・ウェイン 主演映画 「黄色いリボン」
1970年代:戦地で捕虜となった夫の無事の帰還を願う妻が木にリボンを結びつける
このころから「リボン」は「メッセージを伝える道具」として全米に認知 ←と書いてあるのです
1990年代:エイズ活動家たちがレッドリボンを活動のシンボルとして使い始める
1991年秋:「スーザン・G・コーメン乳がん基金」イベント参加者にピンク色のリボンを配る
1992年初め:女性向け健康雑誌『SELF』の編集長アレクサンドラ・ペニーが、「乳がん意識向上月間」の特集企画を検討
化粧品会社エスティ ローダー社の副社長エヴリン ローダーに協力をもとめ、2人はリボンを作ってニューヨークの店舗で配布することを思いついたがこの時点でリボンの色は未定
1992年:ニューヨークタイムズがこの年を「リボンの年」と宣言
シャーロット・ヘイリーという女性が、「ピーチ色」のリボンをつくり、それに「国立癌研究所の年間予算は18億ドルで、癌の予防研究に使われるのはたった5%です。このリボンを身に付けて議員たちとアメリカの目を覚ましてやってください」と書かれたカードを添えて販売
『SELF』のペニーとローダーはヘイリーに一緒に組んでやろうともちかけたが、ヘイリーは2人の姿勢があまりに営利重視だとして、申し出を拒否
弁護士に相談したペニーとローダーは、別の色をえらぶように助言をうけ、そして「ピンク色」のリボンが、乳がんの意識向上の国際的シンボルとして選定
その後エヴリン ローダーは、「米国乳がん研究基金」を設立し、ピンクリボン運動をさらに展開
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このあとのピンクリボンの認知度の高まりは、みなさまご存知の通りです。
このたびわたくし
当クリニックでもお取り扱いさせていただいているプラスリストアシリーズの開発者の方と
いろいろご相談させていただいていたご縁もありまして
インタビューをお受けさせていただきましたー!
がんと共に生きるあなたに
あなたらしい美しさを
こちらのお化粧品の開発に携わった方々の熱意がすごくて
それに負けないように、頑張らせていただかなくては、と思った次第です。
ピンクリボン活動、世界中のあちこちで行われています。
サバイバーさまも、そうでないかたにも、良いことがありますように。